魔王の詩集魔王の詩集


序章:召命

勇者は負けました

勇者は負けました
魔王に負けました
無惨に殺されました
さらし首になりました

仲間の戦士、僧侶、魔法使い
皆、豚の飯にされました
一族郎党、女、子供に至るまで
大地の肥やしとされました

それでも王は「勇者求む!」
それでも人々は「勇者求む!」
報酬無し、援助無し
命の保障無し

勇者は負けました
魔王に負けました
無惨に殺されました
さらし首になりました

勇者になるのは許さぬぞ

魔王の報復始まれば
一族郎党、さらし首
勇者になるのは許さぬぞ
神託なんぞ聞き流せ

娘が犠牲になるだけで
それで足るなら安かろう
お主は正しき者なれど
それで世界は救えぬわ

お主のレベルは低すぎる
初級魔法も使えない
魔王の報復始まれば
村人共々さらし首

勇者は呪われた

勇者は呪われた
勇者には神託があった
"悪を討つべし"
初めての殺戮だった

悪の血潮を滴らせ
罪の意識が男を染めた

神の目は誤りぬか
強く賢き此の男には、
狂気の種、未だ芽吹かず

勇者は魔王を喰った

勇者は魔王を喰った
魔王城は地底に在った
勇者は魔王を討ち果たす者

彼の威光に恐れを成した
母国の王の命により、
魔法使いが出口を爆破
見事、地底を闇に閉ざした

勇者は魔王の屍肉を喰らい
僅かな余生を引き伸ばし
血涙に復讐を誓った

早くも、魔王の魂は、
勇者の血肉と化していた


第一章:栄光

紙一重の勝利だった

僧侶、賢者は塵となり、
勇者、戦士は帰還した

勇者は魔王を討った
紙一重の勝利だった

勇者は四肢を捥がれ、
視聴覚も失った
戦士は両腕を失い、
顎で勇者を引き摺った

凱旋パレードでは、
その凄惨な姿を前に、
人々は一様に絶句
歓声は皆無だったと云う

勇者はキャンセルされた

勇者はキャンセルされた
嘗て魔王を討ちし英雄も、
今や「サイコキラー」
世間の価値観は変わった

今や「魔物」は差別語
「魔人」が"適切"だ
魔人は人類と同化
共に学び、働き、愛す

嘗ての捕虜虐待が立件され
勇者は軍事監獄で死んだ
当時から違法だったものの、
当たり前の行為
誰も問題にしない罪だった

魔王は勇者のファンだった

魔王は勇者のファンだった
寡黙で無情で残虐な、
我らが勇者のファンだった

魔王曰く、
「お噂、予予伝え聞いております。
我が配下を無慈悲・冷酷に、
時に、狡猾・卑劣な手段用い、
一切、妥協許さぬ屠りぶり。
他、窃盗、盗掘、不法侵入。
その品格たるを悪徳の範とし、
魔族に見倣わせております。」

勇者は魔王を崇めていた

勇者は魔王を崇めていた
嘗て魔王は奴隷であった
腕一本で名を成した

勇者の血統は卑しく、
父は革靴職人、
母は娼婦であったというが、
それすら定かではない

勇者は孤独を生きていた

勇者は魔王を討った
崇拝の果ての報恩であった
勇者の偉勲は闇に葬られ
王子は英雄と讃えられた


第二章:喪失

戦士は勇者に恋をした

戦士は勇者に恋をした
叶わぬ恋と悟っていた
二人は竜を討ち、骸を前に語らった

勇者「竜は何故、己が振るわぬ剣を欲す?」

戦士「この剣は美しい、在るだけで幸福なのだ」
(勇者よ、君も美しい…)

勇者は少し考えて言った

勇者「俺が剣を振るうのは、死が美しいからかも知れぬ」

戦士は勇者に殺されたいと願った

勇者には愛が無かった

勇者には愛が無かった
彼の愛した者は皆、
魔王の軍に殺された
だから魔王に挑み得た

仲間の戦士、僧侶には、
勇気が無かった
それでも魔王に挑み得た

"こいつと死ぬなら悪くない"
戦士には勇者への愛があり、

「愛は必ず勝利する」
僧侶には確かな信仰があった

勇者は鬱だった

勇者は鬱だった
勇者は魔族を滅ぼした
血に塗れた時代は終わり
勇者は逝き場を失った

勇者の剣気は衰えず、
しかし、討つべき敵は無く、
酒、女、薬、放蕩、尽くすも、
死地、巡る耀きに及ばず

神剣は喉を突き立て、
勇者は自死に至った

正義の果てに何を見るか、
神は未だ黙して語らず

勇者は自害した

勇者は自害した
魔王亡き太平の世に、
勇者の居場所は無かった
共に戦った僧侶は悶えた

僧侶の堅固な信仰は、
この自害で愈々揺らいだ
神意を測りかねたのだ
今や討つべき敵は無い

斯くして僧侶の信仰は、
邪教を生み出すに至り、
次なる勇者を待ち望む

「神は混沌を欲している…」


第三章:剣才

俺は勇者じゃない!

「俺は勇者じゃない!」
彼は恐怖に足が震えた。
村一番の剣才を誇る彼に、
召集令状が届いたのだ。

勅令に背くことは死を意味し、
反戦主義者は非国民とされる。

人々は引き攣った笑顔で彼を讃えた。
彼は魔王討伐の任に就き、
下劣な魔物に喰われて死んだ。

空ろな墓には彼の名前と共に、
"勇者"の文字が仰々しく刻まれた。

若き戦士は傲り高く

若き戦士は傲り高く、
賊を深追いし、囲まれ、
天下一の剣才は桜と散った

この才は技巧に過ぎず、
死を前に、足が竦み、剣は鈍った
技に心が優るが真剣勝負

これを見た別の戦士は、
「死に美在り、恐るるに足らず」と悟る
彼には真の剣才があった

続、戦士は勇者に恋をした

戦士は勇者に恋をした
死をも恐れぬ戦士は、
旅の終わりを恐れていた
恐れは剣を鈍らせる

魔王は戦士を一刀両断
死に際に戦士は発した
「勇者よ、君は美しい…」
二人の旅は終わった

勇者の恐れは霧散した
彼は友の死を恐れていた
彼の剣は初めて神域に達し、
斯くして魔王を討ち取った

木鶏魔王

魔王は更なる力求め、
達人の教えを請うた

「凡て執着、抱く可からず
命、惜しめば、剣、鈍らん」

魔王は己を見つめ直した
嘗ての倨傲の影も消え、
生活は質素と静謐を極めた

自ず世界は平和へ向かい、
今や討つべき勇者も亡い

「我、未だ木鶏たり得ず」
魔王は剣を研ぎ続けてゐる


第四章:昇天

教皇曰く

魔王は勇者に勝利した。
「ただ殺しては、つまらぬ」と、
取引を提示した。

「汝らを拷問に掛ける。
一人が一日耐える毎、
人類に三日の猶予を与える。」

賢者は即座に自害した。
戦士は半日保たず、
勇者は三日で屈した。
僧侶は二十日耐え、絶命。

魔王は僧侶の信仰に敬意を表し、
人類に百年の休戦を誓った。

僧侶と七つのゴーレム

僧侶の自室の半地下には、
七つの女性型ゴーレムが静かに在った

信仰篤き、齢八十の聖職者
彼の最期に明かされた秘密は、
群衆の激しい嫌悪を惹起した

曰く「ゴーレム、人に非ず、以って、妻帯に非ず」
彼は操と戒を守り抜き、
見事、天国へ旅立った

勇者一行、薬草遊び

勇者一行、薬草遊びに御執心。
勇者「うぉ、キタわ、悟り開きそう」
魔法使い「回復魔法じゃ得られないやつぅ」
戦士「8ゴールドでこれはヤバいっす」
僧侶「神の祝福を感じます」

彼らは、現実から解き放たれ、
煌めく夢の迷宮を彷徨い続けた。
食事も忘れ、まぐわい、
痩せ細り、歯は朽ち果てた。

魔王「愚か人間ども、滅ぼすに及ばん」
地上に平和が訪れた。

幸福魔法

賢者の遺した「幸福魔法」は、
魔族の侵攻に慄く人類に、
瞬く間に普及

魔力消費は極僅か、
術式も簡素、故、
老いも若きも、勇者、僧侶、
浮浪者から王に至るまで、

सु სი Щ س ხखु Бعა წ

日がな、この魔法を唱えた

無論、魔族の侵攻は加速
人類は滅亡の危機に瀕するも、
「幸福魔法」は魔族に忽ち蔓延
人類、魔族、共に堕ち、
幸福なる絶滅を迎えた


第五章:統治

魔王国には法が無い

魔王国には法が無い
酒、薬、売買春、賭博、暴力、表現、全て不問
罪とは"弱さ"であり、
全てが自己責任

片や、ヒトの国は迷宮だ
一人とて憶え切れぬ無数の法が在り、
その上、「知らなかった」では済まない

魔王国には信頼と合理が在り、
ヒトの国には欺瞞と束縛が在る
どちらが優れた統治であろうか
語るまでもない

魔王は勇者を喰い過ぎた

魔王は勇者を喰い過ぎた
ヒトが減って、魔物は餓えた
魔物が減って、ヒトは増えた
世界には混沌が在った

魔王は苦悩と神託を授かった
"勇者を喰い過ぎては成らぬ"
"魔物は増え過ぎては成らぬ"
世界には調和が在った

魔王言行録:戦の運命

魔王曰く、
「そう死に急ぐな勇者よ。
儂とて戦は望んでおらぬ。
然し、止められぬ。
社会階級は揺るがず、
下層民には職も無い。
さすれば金は勿論、
自尊心も失われる。
斯くして、宗教、国家、
民族主義が台頭する。
時間と不満を持て余し、
民は外敵と血を求める。
戦は宿命なのじゃ。」

魔王講義録:支配と堕落の哲学

魔王曰く、
「官吏を籠絡し、法に穴を生ぜよ。
然れば、不正が横行、国家は朽ちぬ。
民は猜疑に駆られ、協和を失し、
文明社会の滅ぶべきは自明の理。
如何に愚昧な奴らとて、
暴力と専制の必要を悟らん。
朕が降臨を渇望せしむる。」


第六章:平和

魔王は死んでいない

賢者
「魔王は死んでいない!…ことにしましょう。
傀儡を立て、戦争を演出するのです。
占領は魔族と諸外国の心証を損ないます。」

勇者
「我々の立場はどうなる?
名誉も報酬も得られぬではないか。」

商人
「弊社の兵器販売益から、
ロイヤリティとして還元いたします。
勇者様は財界で名を成されよ。」

斯くして世界は平和的な戦争が続いてゐる。

魔界で人間ブーム到来!

魔界で人間ブーム到来!
飼って可愛がるも良し、
煮て焼いて食って良し、
ただ死にゆく様を見るも一興

特に魔王は人間好きで有名
常時200人を飼っている

「人間を滅ぼすなんて、考えたくも無いよ」

ハレモノ勇者

「いつまで居る気なのかね…」
勇者は"腫れ物"だった
嘗て魔王を討った男は、
旅路で街を訪れた

男は謙虚に饗しを辞するが、
結局、硬い笑顔に押し切られた
豪奢な宴が連日催され、
出立は盛大に見送られた

人々は安堵して語った
「あれは人も殺してる眼だよ」
「あの剣で何匹斬ったのかね?」
「呪われてるんじゃないの?」

人語辞書

魔王勅令により、
人語辞書が編纂された

人語の「正義」には、
魔族語の「武力」が宛てられた

同様に、
「罪」には「弱さ」
「平和」には「小戦争」
「自由」には「無秩序」
「愛」には「支配」
「成功」には「搾取」
「希望」には「幻想」
が宛てられた

魔族は詐術を嫌い、
抽象的な概念語を最少化した


第七章:芸術

千矢一夜物語

踊り子は生かされた
魔王は彼女を殺さなかった
魔族には文化が無かった
魔王は退屈していた

彼女は夜を通して踊った
命乞いではない
ただ、いつもと同じく、無心だった

「我が一夜は千矢に優れり」
魔王の軍勢は三日に渡り足止めされ
後の人類の勝利を顕現せしめた

魔王の夢は画家だった

魔王の夢は画家だった
名画を遺すことだった
父が、時代が、
其れを許さなかった

魔王は勇者に討たれ、
神話となった
魔王はモチーフとなって
数々の名画に描かれた

天才画家の描く魔王は、
勇者に討たれながらも、
満足気に微笑んでいた

魔王の夢は名画に宿った

魔王の国で傑作が生まれた

魔王の国で傑作が生まれた
弱き魔物が涙を地に落とし
幼き魔物が血で地を染めた
そして、傑作が生まれた

ヒトの国に美術館が建ち、
傑作が並んだ

人々は僅かな代価を支払い、
一時、その美に浸り、後、
いつものように、
他人の恋愛と自身の老後を想った

今日も又、
魔王の国で傑作が生まれようとしている

女の唄

女は魔王に全てを奪われ
それでも生き抜く覚悟が成った

魔王の庇護下、
勇者亡き時代に在って
女の涙は唄と成った

唄は憂いと美を備え
その創意、業火の如く
決して尽きる事が無く

女の才は見事に開花
名声は全土に轟いた

永く、女は悲運を呪い
仕舞い、愛すに至った
永く、女は悲運を呪い
併せて、愛すに至った


第八章:鏡像

僕は魔王だ

僕は魔王だ
君を夢の中で辱める

僕は勇者だ
君のために死にたいと願う

僕は僧侶だ
君を信仰し、全てを捧げる

僕は賢者だ
君さえ居れば何も要らないと悟った

君は地上を照らす光
その陰が僕を苦しめる

勇者は千人の女を娶った

勇者は千人の女を娶った
国々、夜毎、回遊し、
彼の眼に映る女達は、
宝石のように耀いた

「我は勇者也、英雄也」
その声は雷鳴だった
「命賭け、魔王討ち、国救い、
故に、自明の権利也」
行く手を阻む魔物も亡い

斯くして彼の名は、
欲深きドラゴンとして
歴史に刻まれた

魔王には夢があった

それは、いつの日か、
彼を慕う魔族の民たちが、
出自によってではなく、
人格そのものによって評価される国に住む、
という夢であった

魔王は教皇の権勢を脅かし、
勇者によって討たれた

しかし、魔王の夢を討つことは出来ない
魔王の言葉を討つことは出来ない
魔王の言葉は魔法であった

勇者の娘は魔物のようだった

勇者の娘は魔物のようだった
魔王を討ちし勇者は、
故郷の許嫁と結婚し、
赤子が生まれた

赤子には魔物のような容貌と、
重度の障害が見て取れた

嫁と僧侶は「神からのギフト」と説き、
魔法使いは「魔王の呪い」と断じた
賢者は「苦しまぬよう殺してやりなさい」と言い、
これに商人は同意した

決断は勇者に委ねられた


終章:興亡

勇者は魔王を瞬殺した

勇者は魔王を瞬殺した
赤子の手を捻るが如く、
勇者は魔物を狩り続け、
その数、数億に及んだ

魔物の血は海となり、
海溝深く朱く染め上げ、
魔物の涙は雲となり、
大地を黒く覆い尽くした

勇者は民の喝采を浴び、
英雄として祀られた
魔族は根絶やしにされ、
勇者を恨む者さえ居ない

閻魔曰く

魔王は死にました
天国へ昇りました
勇者は死にました
地獄へ堕ちました

閻魔曰く、
魔王は殺人の実行犯ではない
直接の命令もしていない
故に、罪には問えない
勇者は魔物殺しの実行犯である
魔族の領土を侵略した
故に、その罪は重い

賢者の唱えた大魔法

賢者の唱えた大魔法は、
勇者諸共、魔王を融かした

冥府の炎は大地を覆い、
刹那に無数の生命が融け、
魔力の残滓が染み渡った

賢者は箝口令を敷いた
受難の記憶は失われ
魔族は人類と同化した

されど、灰より芽吹き詩は語る
「嘗て、勇者と魔王が在った…」

魔王は勝ちました

魔王は勝ちました
勇者に勝ちました
仲間の戦士、僧侶、魔法使い
皆、豚の飯になりました

爆撃機を要請しました
焼夷弾を投下しました
戦略核も使用しました
残党も狩りました

事後法で裁きました
死刑に処しました
弔うことも禁じました
世界は平和になりました


附録Ⅰ:魔王立兵学校 資料編

魔物四省

力に従う勿れ、
牙を剥き叛逆せよ!

命に順ずる勿れ、
己が悪に殉ぜよ!

誉に預かる勿れ、
畏敬の矢所たれ!

死に損なう勿れ、
討たれて花と散れ!

魔王立兵学校校歌

漆黒統べるは闇の王
神をも屠りし魔力滾らせ
龍骨山より意気高く
悪の殿堂、我、兵学徒

戦禍呼びたる血風吹き
鬼岩窟より深き業
あゝ魔王立兵学校
命、捧げし耽美の徒!


附録Ⅱ:時空裂解序説

王立時空物理研究所・第 Δ42 室内回覧稿
賢者大魔法《融解(Melting of Empires)》による時空歪曲の初期評価
研究代表:アルシオーネ=カミル(博士/クロノ位相力学)

1. 概要

賢者の発動した大魔法は、半径 R ≈ 120 km の空間を“瞬間的に負エントロピー源”として機能させた。本報告では、その結果生じた 時空曲率 K(t, r) の時間発展を一般相対魔導理論(GRTM)で近似し、歴史年表の非可換性 を定量化する。初動 72 時間で因果順序の入れ替わり事象が 31±4 % 増加したことを確認した。

2. 観測プロトコル

  • 重力レンズ式クロノメーター:魔王城跡に設置。プランク長 × 10³ の解像度で光円錐の歪みを測定。
  • タキオン共鳴ラングラー:英雄遺灰中の β崩壊同期を利用し、時間反転対称性の破れを検出。
  • 標準“神託クロック”:教皇庁蔵の聖遺物を参照時刻 (T₀) に固定。

3. 結果(抜粋)

※ 負値は“観測者固有時”が事象より先行する逆行領域を示す。
r (km) 局所時間伸縮率 λ ヒト→魔族遺伝子転写誤差 歴史書の記述差分
0–15 1.12 ± 0.03 38 % “勇者が二度死んだ”、二重死亡記録
15–60 1.04 ± 0.01 14 % 年代が ±7 年ずれる史料が混在
60–120 1.00 ± 0.01 3 % 年表ほぼ整合

4. 考察:“可換性なき年表” の提起

大魔法以後、年表同士の結合演算が成立しない。

  • 歴史学的帰結:王室正史と禁書写本を突き合わせると、勇者の凱旋→処刑→再凱旋が可逆操作として現れる“年代ループ”が浮上。
  • 存在論的帰結:“魔王は死んでいない” という賢者の政治的虚構が、物理的には「死・非死の重ね合わせ」と解釈可能。
補題 1(クロノポエティクスの観点)
“詩行と詩行の間にはΔτ≠0 が常に潜む”――ゆえに、本詩集を読む行為それ自体が時間修復の試みである。

5. 参考文献(抄)

  1. Kurokawa, Y. General Relativistic Thaumaturgy, 3rd ed., Void Press, 1011.
  2. Laureate, C. “On Non-Commutative Chronicles,” J. Chron. Topol., 42 (4): 88-113, 973.
  3. Council of Clerics. Miraculorum Index Maxima (confidential), 999.

解題・編纂報告

『魔王詩集』再編成(第七稿)に寄せて
――魔王詩編纂室・暫定報告書抄――

 我ら編纂室が今日「第七稿」と呼ぶ本文は、先王暦二九三年に印行された〈王宮図書鋳造版〉を底本としつつ、近年地下古書市に流出した「黒革綴じ残簡」、さらには焚書令以前に国外へ持ち出された写本断片(通称〈亡命稿〉)など、計一二種の異本を相互照合して得られたものである。完全な原本は今なお確認されていない。ことに「序章末葉」「第五章‐第三篇」には恒常的な欠落があり、本文がときに唐突に転調するのはそのためである。

 まず編纂史を遡れば、初期流布形態には大別して三系統が存在したらしい。

口誦写取系――詩人不詳、街角の吟誦を旅の書生が写し取ったとされる最古層。各篇の順序は固定しておらず、語彙も庶民的。

宮廷訂正系――先代魔王が自ら筆を入れたと伝わる美麗写本。韻律が整備され、勇者を諧謔的に讃える詞が削除されている。

禁書抹消系――勇者勝利後の焚書令を潜り抜けた微細写本群。箔押しの換え題籤や偽装宗教テキストに偽るなど、保存工作の痕跡が顕著。

 本再編に際し最大の論点となったのは、「第六章《平和》冒頭二連の存否」である。従来底本はここに「幸福魔法」の章題直下で始まる四行詩を掲げてきたが、黒革綴じ残簡には同位置に〈魔王国戦没者統計表〉なる散文が貼り込まれていた。本文性を疑う意見もあったが、貼込の料紙に当時宮廷でのみ流通した“硫黄染漉奉書”が用いられていた事実から、我々は「詩篇と同時期に作成された付属資料」と判断し、今回は注記欄で翻字を示すに留めた。

 次に、読者諸賢がしばしば混同する**「魔王直筆稿」**と称する伝承の真偽である。皇家秘蔵庫には確かに〈魔王真筆仮綴〉と墨書された冊子が現存するが、墨の膠質分析は勇者暦以降の製法であり、真筆である蓋然性は低い。一方、亡命稿の末尾に現れる火急の覚え書き――「此稿ヲ以テ最後ノ正典トス、焚火ヲ避ケヨ」――は炭化層年代測定が“焚書元年±三”を指示し、むしろこちらこそ当事者の手に近いと見なすべきであろう。

 焚書令そのものについて触れておかねばならない。公式記録では「反乱思想抑止」の名目だが、同年に勅許を得た〈勇者列伝統合版〉が同じ紙型で大量増刷されている点を考え合わせれば、文化空間の一元化=勇者正史の押出しが真の目的だったとする説が有力である。散逸を免れた本書の諸写本が悉く「章番号のズレ」「固有名の伏字」「改ページ箇所に貼り付く偽装挿絵」など、検閲攪乱を狙った痕跡を帯びるのも、編纂史的には自然な帰結であろう。

 ところで、先代魔王の「苦悩」が読み取れるか否かという問いは、本文外の削除痕にこそ潜む。口誦写取系の末尾(現行「終章《興亡》」)には一度“勇者への降伏勧告”らしき散文が挿入されかけ、直後に太刀裁ちするような墨の走りで完全抹消されている。もしこれが魔王自身の筆であるなら、我々が今読む峻烈な韻文は、「既に戦に敗れた王が、未来に向けた最後の即興」とすら解釈し得るのだ。

 以上、我々は敢えて本文を「補わず」「改めず」、ただ欠落を欠落として可視化する道を選んだ。読者が頁を繰るたびに現れる空白、異字体、貼込紙の厚み――それら物質的継ぎ目こそが、『魔王詩集』という亡国の心臓の鼓動であると確信するゆえである。

 なお本報告は暫定版であり、今後も地下市・私蔵庫より新資料が出現する可能性は高い。もし諸賢が断片を所蔵される場合は、燃やさず、売らず、どうか写しを編纂室宛に送っていただきたい。失われた原光は、未だ灰の底で燠火の如く息づいている――。

先王暦三二一年初冬
魔王詩編纂室 第三七代室長補佐代理
ユール=ガラファイス拝


訳者あとがき

――勇暦五一二年・大寒第三週 北辺自治区カル=ミレ図書館地下保管室にて――

 この『魔王詩集』日本語版は、三段階の重訳を経ています。すなわち、

  1. 原典(古中域魔古語) → “新統一テオグラフ”
  2. 新統一テオグラフ → コロニアル期共通語(いわゆる「第八共同語」)
  3. 第八共同語 → 現代日本語(本稿)
 最初の段階で既に 「韻律」と「諧謔階調」 の大部分が剥落しているため、ここでは「意味の輪郭」を最優先しました。底本における “欠損補填”、あるいは “検閲由来の黒塗り” を私見で填めています。今回の日本語版は「正確な復元」ではなく、“あらゆる改竄をも包含する正典” を目指しました。誤訳・過訳はすべて訳者の責任です。

▽ 訳語選択について

  • 勇者/魔王
    • 原語では Ḥaʔu(雌雄未分化の「刃を向ける者」)、Mŭg-ṙā(「世界骨を噛む声」)に相当します。性のゆらぎと存在論的非対称を保つため、あえて旧世紀ファンタジイの常套訳を踏襲しました。
  • 幸福魔法
    • 直訳は「光線溶媒」ですが、二十世紀日本語サブカル史に接続させた方が〈快楽と破滅の同義〉が伝わると判断しました。
  • 人語辞書
    • 原文は「人の舌を刻む板札」。語源が処刑・標本化を暗示するため、辞書という穏便な語に差し替えています。

▽ 不可視の声について
底本には、本文インクとは異なる “亜硝酸銅顔料” で 「のろいめいた余白書き」 が随所に混入していました。化学洗浄により三割が消滅、二割は判読不能、残りは “沈黙の句読点” として紙層内部に残存しています。最新の分光撮像で判明したテキスト片を、一例のみ添えます。

…我らが勝利は < 読めず > の胎動であり、
…未だ血は < 読めず > の前に凍る。
 意味合いは不分明ですが、語頭に必ず〈点・点・破裂音〉を置く独特の韻脚が、失われた朗読様式を示唆します。将来的に可視光以外の波長で解読が進めば、本訳そのものが 暫定訳 と化すでしょう。

▽ 未来の読者へ
  書架の埃を払い、ページを繰るとき、どうか 余白に耳を澄ませて ください。インクが褪せても、繊維が黒く焦げても、詩行と詩行の隙間には――

まだ鳴り止まない剣戟と、
まだ終わらない祝祭の足拍子
 ――が微かに残響しています。もしあなたが、そこに“あなた自身の声”を聴き取ってしまったなら、訳者としてこれ以上の歓びはありません。

リンデロフ・ハカセ
 第三北辺翻訳ギルド正会員/古中域魔古語再建プロジェクト客員研究員
 ――“失われた言語も、喉を這い上がる”


CC0 『魔王の詩集』は、CC0 1.0 ユニバーサル(CC0 1.0)公共ドメイン提供により公開されています。誰でも自由に使用できます。